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院長・歯科医師

今井 光

写真
熊本マリスト学園中学・高等学校卒業
平成2年4月 福岡県立九州歯科大学入学
平成8年3月 福岡県立九州歯科大学卒業
平成14年7月 ハート歯科クリニック開業
所属学会
日本口腔インプラント学会
経基臨塾
スタディクラブPABC
日本歯科医師会会員
飯塚歯科医師会会員
日本学校歯科医師会 会員
飯塚市庄内中学校校医

マイオブレース認定医院
インビザライン認定ドクター(2022年プラチナドクター取得)

主なセミナー受講
2007年 CAMLOGインプラントアドバンス受講
講師 皆川 仁 先生
2008年 MEAW矯正コース
講師 白数 明義先生
2012年 ゴムメタルワイヤー矯正受講
講師 白数 明義先生
2012年 下川セミナー受講
下川セミナーアドバンス受講
講師 下川公一 先生
その他 カムログインプラントアドバンスセミナー
抜歯即時インプラントセミナー
マイオブレースセミナー(ゴールドコーストにて)
マイオブレース(Drファレル、Drフラッター)
PABC歯周外科セミナー(安東俊夫先生)
PABCインプラントアドバンス(安東俊夫先生)
メガジェンインプラントハンズオン
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院長ヒストリー

元気いっぱいの幼少のころ

1971年(昭和46年)9月14日に熊本県水俣市(熊本県と鹿児島県の県境)の地において父(光義)と母(美智子)の第2子として誕生。祖母に抱かれている写真を見てもわかるようにかなりのおデブで健康そのものでした。

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厳格な父との「小学生時代」

小学生の頃は、活発な方で学級委員長などをしてリーダー的存在でした。
足が速かったのでリレーが得意でした。また、小学校途中までは野球もやっていました。
手先も器用で図工や工作の大会では、入選もしていました。

父は公務員、母は看護師で、いわゆる「共働き」。学校が終わり家に帰っても誰もいない、いわゆる"鍵っ子"という生活を送っていました。
当時は、「共働き世帯」は少なかったですね。

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特に、母が夜勤の時なんか、まだ子供なので寂しさを感じていましたね。
けど、母がいなくとも3人兄弟でケンカしたり遊んだり、何かと楽しい思い出です。
さて父親は、非常に厳格で食事をするときは必ず正座、何か悪いことをすると叩かれて叱られ、かなり怖い存在でした。

しかしながら、「医学への道」を志したのもこの両親がいたからなのです。
40歳を過ぎてもなお両親には感謝の気持ち、頭があがりません。

小学4年生の頃、人生の大きな変化がおとずれました。
教育熱心な父の勧めで、熊本市内の塾へ通いだしたのです。

その当時、居住している水俣市から熊本市内の塾へのみちのりは、普通列車(JR)で片道2時間!!往復4時間!!

私立中学受験に向け、それから父と息子の2人3脚が始まりました。
毎朝6時起床!早朝学習開始!
そして、毎週日曜はJRとバスを乗り継いで2時間、進学塾の会場まで通いました。
遊び盛りの2年間は日曜がない生活を送りました。

しかし、受験の結果、
第一志望の久留米付設中学校(不合格)、第二志望長崎青雲中学校(不合格)というものでした。
あの時は父と子で泣きました
結局、第三志望の熊本マリスト学園中学に入学。

文武両道を目指した「中学、高校時代」

熊本マリスト学園中学校は熊本市内にあるため、親元を離れ6年間寮生活を送ることになりました。
人生振り返ると、あの時12歳で家を出て・・・
中学→高校→大学→社会人生活と、それっきり、出身地水俣へは戻らないこととなってしまいました。

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当時学校は、熊本の男子校の進学校でした。寮生活は非常に規律が厳しく、特に先輩・後輩の縦社会でした。
ここでは、医学部を目指し、自分の信念として「文武両道」「努力に勝る天才なし」と机の上に掲げ勉学とスポーツにあけくれる毎日でした。
中学時代にはハンドボール部にレギュラーとして所属し、「全国制覇」を目標にがんばりました。
当時は、雑誌にも優勝候補として記事にされたほどでした。

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熊本市内大会優勝、熊本県大会優勝、九州大会優勝!!
チームを結成してからは負け知らず。しかし、期待された横浜での全国大会初戦敗退・・・。今でも悔しく思います。

高校時代空手部に所属し、キャプテンを務めました。
そこで、頑張りすぎる?負けず嫌い?の性格のため過度の練習で右手が腫れ上がり、腱鞘炎を起こし、指がうまく動かなくなったのです。
大学受験し、将来医者になりたい!という「志し」・・・・。キャプテンでありながら退部に至りました。高校3年のときには学園祭の応援団長も経験しました。

運命を変えたセンター試験

まじめに6年間一生懸命勉学に励み、高校では授業料免除の特待生にもなりました。
国立医学部合格ラインに到達!! いざ集大成のセンター試験!!
「こ、こ、こけてしまった・・・」
今まで見たことない数学Ⅱの点数、なんと40点。( 問題文の読み違いで解答ミス)
父は、「俺が、新聞配達でも何でもするから私立の医学部へ行け」と言ってくれました。が、子供ながら家の経済状況は理解しているわけで受験しませんでした。
また、中高6年間完全燃焼しきった18歳の私は、医学部を目指し、1年間予備校生活を送る気力さえ残っていない・・・
進学指導の先生の一言 「歯学部へ目標変更すべき!
僕が、歯、歯学部に・・・・!?」その後、福岡県立九州歯科大学へ入学

友人が多かった「大学時代」

熊本から北九州小倉へ。6年間寮生活を送った私には、当時小倉という町は新鮮であり、楽しさあふれていました。

医学部を目指したが、歯学部に入学してしまった私のモチベーションは下がったまんま・・・

体育会系バドミントン部で燃えて活動!!
燃えたバドミントン部活動により、
全国歯学体育大会で団体優勝
・個人ダブルス優勝
・個人シングルス4位
の結果をおさめました。

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先輩・後輩・友人もかなりできました。
親からみれば何のために仕送りを毎月しているのだろうという感じだったと思います。
今、自分が親になると反省することばかりです。

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勤務医時代

歯学部を卒業後も、やはり医者という道に未練があったのか、歯科の中でも入院施設もある口腔外科を専門とする熊本市内の歯科医院に勤務しました。

その歯科医院は診療自体9時から18時まで勤務なのですが、診療後もポケベルを持ち24時間体制で救急外来に備えなければなりませんでした。

また、入院患者さんもいるため休日出勤・夜間深夜勤務当たり前というハードな職場でした。
しかしながら、その医院で学んだことが多く、全身管理、口腔外科全般、外傷患者さんの対応、救急歯科治療等、現在の私の診療に非常に役だっています。

しかしここでも、まだまだ歯科医療に対する情熱は低かった・・・

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歯医者としての大転換期(若松先生との出会い)

27歳で妻(若奈先生)と結婚にいたりました。そして飯塚へ引っ越し。
勤務地を遠賀郡芦屋町の医療法人若松歯科医院へ。
当時、私は歯科医として3年目、歯科治療全般は経験済み、また口腔外科に対しても多少の自信があったため、ちょうど天狗(まさに天狗!)の時期でした。

ここで人生の大転換!!に至ったのです。

院長の若松先生と出会い、若松先生の歯科医療に対する情熱。これを学び、私の意識が一変しました。
歯科診療ってやりがいがある!!
また、歯周病治療・審美歯科・矯正歯科・インプラントの高度な治療を目の当たりにし、自分自身の未熟さを実感しました。

何よりも先生の歯科医療の対し「一生勉強する」という姿勢が一番心に響きました。
この人に出会わなければ自分の人生はどうなっていたのか・・・
今では歯科医師になって良かったという気持ちでいっぱいです。

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開業して

2002年7月18日ハート歯科を開業しました。
私と妻(若奈先生)、そしてスタッフ2人で本当に小さな一歩を踏み出しました。患者さんに対する情熱を持って・・・開業以来、東京・大阪・福岡・全国各地へ学会、セミナーに参加しています。

患者さんに、より良い歯科医療を日々提供しようと今も奮闘中です。

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2022年ハート歯科クリニックいまいは、20周年を迎えました。

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開業して以来、様々な治療法に出会い研鑽を積んで来ました。
人工歯根のインプラント、20年前は最新の治療と言われておりましたが、現在はいかに早く低侵襲なオペで早く治療が完了するかの抜歯即時インプラントへシフトしております。

また、矯正歯科分野においては、抜歯するのが当たり前だと言われておりましたが、ゴムメタルワイヤーテクニックにより抜歯せずに矯正治療が行えるようになりました。
ワイヤー矯正だと見た目が気になる患者さんには、透明で目立たないインビザラインが主流となってきております。これも歯科界では画期的な技術となっております。

数年前から、子どもたちの健康を守るため、小児予防矯正のマイオブレース治療も当院では多く行っております。マイオブレース認定医院として、福岡県では一番にメンバー取得しております。

思い起こせば開業して20年、患者さんから必要とされる、喜ばれる治療を学んでこれたと思っています。

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2022年7月18日で
ユニット8台へ増加、マイオブレースルームの増築、美容歯科棟の増築、
スタッフの数も増え総勢20名近くの医院へ成長することになりました。

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開業当初よりこんなことを思っていました。
当院は、住宅街の中にあります。

1回来院したくらいでは、道に迷うかもしれません。

当院がある場所は、
電話で案内しても伝えづらい場所です。

そうです、
非常に分かりづらい場所に立地しているのです
こんなにアクセスが難しい当院を選んで来てくださるのだから

絶対に

「できるだけ優しく、なるべく痛くない治療をこころがけよう。」
「しっかり、わかりやすく治療の説明をしよう。」
「子供を励まして治療しよう。」
「なるべく歯をぬかない治療をしよう。」
「患者さんの人生において歯の重要性を伝えよう。」
「人として、歯科医師として『成長・貢献』したい。」


その考えは開業して20年たった今でも変わりません。

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